強さ。

4月15日フランクフルト空港。 雲一つない青空のフランクフルトにひとり。 フォルさんと繋がってからあっという間にドイツ行きが実現した。この6年は何だったのかと思うくらい嘘のように。 ドイツ行きが決まってから、フォルさん以外に会う友人たちにコンタクトをとる。これほど綿密に旅の計画を立てたことはないかもしれない。それぞれ住む地域も違う友人たちばかりである。結局、フランクフルト空港を起点にドイツを一周することになるのだが。 フランクフルト到着後は直ぐにハンブルグのロベルトのもとへ。その後、オストゼー近くベルリンより更に北に上がったチュッソーに向かいフォルさんと会う計画を立てた。 その後は更にベルリンの南、バールートへ。マイスター養成学校で共に学んだゴードン家に居候する。バイエルン州に入り修行先のクンツ、ランヅフートのマイスター養成施設。バーデン=ヴュルテンベルグ州最古の町ロットヴァイルのガブリエルファミリーにお世話になる。 最後にまた8年過ごしたバイエルン州プリーンに戻りそこからオーストリア・ウィーンにある老舗レストランのカナッペを求め移動する。 正直、この移動距離には大きな不安があった。それに加えて飛行機は大の苦手である。。。 体調は、ほぼ完治したとはいえ体調を崩してから初の飛行機と長距離移動で、こういった場合の問題は、トラウマということか。実際に悲惨な思いをしたその体験から、『またそうなったらどうしよう』と思うのである。 フランクフルトのその空は、まさに私の想いを表すかのように晴れやかであった。 電車の待ち時間、日本で手に入れたフォルさんの本を読む。つくづく便利な世の中だ。フォルさんと出会って早速アマゾンで注文し程なくして本が届いた。 ひとり駅のホームのベンチに腰をかける。 久しぶりのDB(ドイツ鉄道)のアナウンスが心地よい。 私は昔の加工品づくりを模索してたくさんの失敗をした。その中で得た経験や知識、現代の加工品に対して感じたことが嘘のように彼の書いた本とリンクしていた。 そして彼はひとりで30年間闘ってきた。時代の流れから考えれば大変なことだっただろう。なぜなら、全く相手にされなかっただろうし消費者も全く興味のないテーマだったはずだ。これは日本においても同じことが言えるのではないだろうか?大々的に食の安全を取り上げるようになったのはまだごく最近の事である。一部の人間にとっては別だろうが、広くよりたくさんの消費者が関心を示すようになってきたと感じる。 彼にとって30年という月日は長く暗い時間だったはずだ。 Bio製品も有名なドイツであるが何故(今まで)これほどまでに添加物に無関心であるか、考えたことがある。それはドイツで許可される添加物の数によるものだと思う。そもそも許可数が少ないのだから、気にすることはない、というある意味では安心感が多くの消費者の心にあったはずである。 以前に添加物の許可数に関して日本とドイツを比べてみたことがある。添加物の許可数は変動することが多いが、その当時でドイツの許可数の4~5倍の添加物が日本では許可されていた。アメリカは更に多くなる。この割合は、今もそうは変わらないはずだ。 添加物に限らず何事もそうであるが、必ず真逆のものが存在する。アメリカがファーストフード大国で添加物大国であると同時に、Bioやフィットネスといったような体を気遣う事も最先端である所以は、その国の中に蔓延っているそういった部分があるからこそ排除したいという真逆の心理が芽生えるからである。そもそも安全であったドイツにそのような強い意志は芽生えにくかったと考える。その中で声を上げ続けたフォルさんの志は相当なものだったと推測する。 (以前書いた添加物の生地について興味のある方はページをリンクしておくのでご覧ください。) https://akitaham.com/hpgen/HPB/entries/39.html このように当たり前になった安心感が無関心を生んでいる状況は色々な場面で存在するはずである。 DB(ドイツ鉄道)のアナウンスが響く。 フランクフルト発ハンブルグ行き。 事前に購入していたジャーマンレイルパスに目をやる。今回は鉄道の旅で移動距離も多い、そのためキャリーバックはやめて、ひたすらにデカいノースフェイスのボストンバック型のリュックで旅をする。 少し慌ててリュックを背負い滑り込むように乗り込む。 ロベルトの待つハンブルクへ。 ロベルトは同じ食肉加工職人仲間である。彼との出会いは名古屋のAkitaHam店舗にて。彼が奥様(日本人)と帰国した際、名古屋のドイツレストランでソーセージを食べた。彼も作っている立場の職人故、その味がドイツではないと店側に伝える。そこでその店の店主が私のAkitaHamを紹介してくれた。次の日、早速お店に来てくれたのが初めての出会いである。 ここで言っておきたいのは、彼は実際に作っている職人で、どうしても納得いかなかった、だから店側に伝えたという事。これは私たちが寿司や日本食を海外で食べて悲しくなったり怒りが溢れたりするのと変わらない。彼がクレーマーではないという事をしっかりと伝えておきたい。なぜなら、知り合って、友達になった彼は非常に真面目で寡黙な青年だからである。ひと昔前の日本人のような、普段なら何も言わない、そんな気概を持った男である。 数年前、北ドイツの食肉加工メーカーの製品が日本にも入ってきた。スーパーでも見かけることも多いだろう。南ドイツのミュンヘンで育った私にはまったく馴染みのないメーカーで初めて聞く名前だった。 ただし何となく知っていたこと。 それは南ドイツには個人店が多く存在(正確には生き残っていて)北ドイツには大きなメーカーが多く存在するということ。 まさにフォルさんが危惧する事が多く行われている可能性のあるメーカーが多く存在する。 ハンブルクと一言で言ってもとて大きなシュタット(街)である。繁華街レーパーバーンもある。その地域に個人店の肉屋がたったの十数件・・・。 個人店が少なくなったとは言え南ドイツではあり得ないことだ。 ハンブルクに到着。 ここでは、トルコ人の経営する安宿に泊まる。期待はしていなかったが、その期待をも下回る宿に驚かされる。私が外人だからか・・・と勘ぐってしまうが部屋は後付けの建物にあり、まるで迷路。たどり着けずフロントに戻る。 どうやったら部屋に行けるの? 短期労働で来ていると思しき東ヨーロッパ人がその後付けの建物には多く泊まっていた。 ベット以外にはテレビも何もない只々広い部屋にひとり。やることもなくWifiを確認して就寝。宿についてからのすったもんだで疲労が増し、程なく、夢の中。無邪気な子供のように・・・ この時はまだ、翌日目の当たりにする大手食肉加工メーカーの『強さ』なんて知る由もなく。

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