動物愛護センターとイデオロギー。

まず日頃からブログにて紹介して頂いているブロガーの皆さま本当にありがとうございます。たくさんのお客様にお越しいただき、宣伝していただき厚く御礼申し上げます。狭いお店で長い時間お待ちいただくこともありますが温かく見守って頂き恐縮です、ありがとうございます。これからも少しずつではありますが精進してまいります。

AkitaHam

先日休みの日に、こちらのホームページからもリンクしていますジャム屋さん・ヴィヴァーチェさんに行ってきました。本当に素晴らしいお店です、皆さん是非伺ってみてくださいね。

母親と伺ったのですが、その途中、平和公園内にある動物愛護センターに行ってきました。秋田家は現在も犬を飼っていて、犬好きと断言できます。

実はここは僕にとって思い出の場所でもあります。というのも愛知高校から愛知学院大学へ何の苦労もせずエスカレーターで入学した時、様々な心の葛藤がありました。本当は高校卒業後すぐにドイツへ行きたかったのですが、念願叶わず大学で勉強したいことも何もないのに大学に行くのが当たり前的な流れで入学し、何もすることのない無気力感が絶えずありました。あれほど生きている心地のしなかった時期は無かったと言えます。

そんな時、大学の講義で“イデオロギー”についての授業があり、自分自身のイデオロギーは何か?をテーマに論文を書いたことがあったのです。

大学入学後2年目に一年間ドイツに行かせてもらった僕ですが帰ってきて復学しても、また行きたいという思いからバイトを掛け持ちして渡独資金を貯めていました。大学の講義も登録できるだけ登録していましたが、もちろん大学に行く意味を見いだせなかった僕はバイトのない日は、大学に行くふりをして動物愛護センターに遊びに行っていたのです。

単位は登録した半分以下、いや4分の1くらいしかとれませんでしたが(それ程通っていなかったのです!)先のイデオロギーの講義は印象的でした。その時はしっかりと論文も提出し、他の学生さんの前で発表されるなど評価して頂きました。

今もってイデオロギーと調べてみても様々な意味があるようで本当に理解するには難しいです。その時は確か・・・自分自身が勝手に(無意識のうちに)とらわれて、ある枠の中に縛られていること、自分の中のイデオロギー。だったと思います。

自分自身やりたいことはあるが、親の意志を気にして進めない、親の望むことは理解しているし(仮に親がそれについて何も言わずとも)親の事を思うがために決断できない。そんなジレンマについて書きました。

そのイデオロギーから逃れられたのが、ドイツでこの修業に入って親から勘当されたときだったな、と愛護センターでふと思い出していました。

月曜日は休館日でしたが犬たちは外で遊んでいて職員の方も見えたので色々とお話を伺いました。犬も人間と同じで色んな性格があり見ているだけで面白いし、癒されます。同時にここに居る犬たちはどうしてここに来たのか、考えると悲しくもなります。僕が気に入ったのは黒い柴犬の子供2匹でとても人懐っこい。職員の方いわく、引き取り犬で引き取った犬が妊娠をしていたとのこと・・・。犬好きの方聞かれたら信じられませんよね!よくも手放せたもんだと!!

その時同時にドイツでの出来事も思い出していました。とある女の子が言った何気ない一言にハッとさせられたことです。

その子は動物が大好きで(かといってベジタリアンではない。)一緒に居た時、庭で鳥がピョンピョンはねているのを見て

“あの子たちの動きを見るといつも、おもしろいと思ってしまうの。”

何気ない一言だったのですが、動物好きの彼女から

“ヒトも動物も生き物として対等なんだよね。”

と言われた気がしました。

対等であるが故、ペットとして飼う場合しっかりと世話(手助け)をし、時に食べることが目的の家畜の場合、命を頂くことになりますが、感謝の念を持って残さず有難く頂く。これは宗教に関係の無い話だと思います。

原始的な生活をしていた時代から食べ物(命を奪い頂くこと)への感謝を忘れなかったはずですが、愛護や平等という言葉の影に基本的な“対等”が忘れ去られていることが多い時代かもしれませんね。

・・・自分で書いたことですが頭が痛くなって来ました(苦笑)適当にスルーでお願いします(笑)

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