ドイツ日記 マイスターへの道
最近は、定休日で完全に休める時は何にもしない秋田です。完全に休める日、というのはありがたいことに中々ありません。この半年くらい、気付かなかった時を含めて2,3年くらいでしょうか、体調を崩していたこともあり、今は時間を忘れる時間を作るように心掛けています。その話もまた追々。。。
マイスターへの道、といってもどうしてこのようなつくり方に辿り着いているのかを考えてみると、やはり過去にどのような事が起き、どのように考えたのかとても大事ではないかと思います。人格形成ともいうのでしょうか。
それには高校時代に突入するのはまだ早いのではと思い、もっと掘り下げてみたいと思います。
小学校時代とんでもない先生がいました。
3年生・4年生の担任だったかなァ今だったら間違いなく問題になるはずです(苦笑)
同級生ならピンと来るはずですね~
クラス替えは2年ごとだったので、3年時終了する間際はどれほど皆で喜んだことか!笑
私たちは明日、解放されますー
しかしその喜びは4年時始業式の日にあっさりと崩壊。。。
始業式で担任が発表されていく中、人気の先生に当たったクラスの子供たちは声を上げ歓喜!
私もドキドキしながら・・・でもまだ〇〇先生呼ばれてないやん!と二重にドキドキしながら
発表!
からの4年生生活
始業式にて終了!
皆、子供ながらに気を遣ってどうとも取れない拍手や歓喜を送っていましたね。。。
何処に怒りのスイッチがあるのか分からなかったので、探りながら接していたことを覚えています。
この年代で、このクラスの友達は気を遣うこと、人生とは理不尽なことがあるのだと自覚したのではないでしょうか?少なくとも私はそう思いましたね。
いきなりドイツで働き始め、理不尽さを味わうよりも前もって免疫を作れていたのです。
いろいろ経験した方が良いというのは、色々な感情を育てておいた方が良いということでしょうか。それにより受け取り方も違ってきて、相手の深意も組めるようになるのでしょう。
例えば、友達が先生と談笑している際(それが出来る雰囲気・場合もあるんです!だから我々は路頭に迷うのです!)遠目に見ていた際、心の中で
“そこまで言ったら・・・ダメだろーーー・・・!!”
“・・・ほれみよ~(ほら、見たことか)泣”
終了
というのは多々ありましたね。。。
人間、地に足をつけていないと、調子付いてしまうと、必ず痛い目に合う、と肝に銘じました。
どのカテゴリーの先生にも言えることだとは思いますが、一緒に遊んでくれる楽しい先生でありながら、道徳を伝えられる方が小学校の先生に居たならば子供たちは幸せだろうと思います。
勉強も勿論大事でしょうが、人としてのマナーや集団生活においての気遣いをさりげなく伝えていける様な感じです。
5年生・6年生の担任、その時に赴任された校長先生はとても素晴らしかったのを覚えています。大人というよりは、相談の出来る年の離れた兄のような存在だったと記憶しています。
サッカー部の顧問の先生もとても素晴らしい先生でサッカー未経験でしたが、以前の顧問の先生から色々と教わって楽しくサッカーをしていたのを覚えてます。
そして特に夕暮れが印象的でした。
学校の校舎を濃い紅で染めていく、その中でボールを追いかけ、ただ純粋に楽しんで遊んでいた光景です。
この夕暮れの印象が中学時代・高校時代・大学時代・ドイツ時代と違ってくるのです。
部活を始めるまでは特にそうでもなかったと思いますが、4年生で始めた際、肥満児ということもあり母親が食生活に気を遣いはじめます。
お菓子・ジュースなんかも程遠い食生活に代わっていきました。この事が現在の私にとてつもない影響を与えているのは言うまでもありません。
ーある日の朝食の風景。
朝練があるので早く学校に行かなければなりません。
味噌汁(自家製みそ)、玄米、梅干し、煮干し、玉子焼き(養鶏ふ化業ということもあり自家鶏卵)、サラダが定番だった朝食にゴマ入りのおちょこがありました。
ご飯にかけるのかな、どうするのかなと思っていると
“よく噛んで食べなさい”
えっ・・・!?
様々な想いが交錯した瞬間で、そういう食べ方もあるのかー
そして今、ゴマや玄米、穀物系は大好きなのですが、その時からそういったものの旨味を開眼させられたと思います。
素材の持っている旨さを感じる感覚を養うのに、とても良い方法だと思います。勿論ほかの素材もいいとは思いますが、ゴマや玄米・穀物の旨さから入っていった方が、入り易いと推測します。
ザクロ爺との出会いと役回りへの不満
この時代に度々感じた感情のひとつに先程もでた理不尽さがあります。
ある日の学校帰り。
ザクロの木があって、友達数人がザクロをとって騒いでいます。
たまたま通りかかって、友達が騒いでいるので見ていると、その後、ザクロ爺と名付けられる爺にいきなりビンタを喰らいます。
当時ダントツに身長が大きかったこともあり(デカいというだけで目立ち先導しているように見られる。)勘違いされる事が多々あり、何でオレばっかりとやり場のない怒りと悲しさを味わうことが多かったです。
両親の考え・教育、勘違いされているだけで、自分が間違っていないのであれば、その内に理解されるはず、という耐える考え方で、私もそういった考えになっていきます。
ただこれはとてつもなく大変なことで理解されるまでに如何ほどの時間がかかるか分かりませんし、または勘違いされたままで終わってしまうこともあります。
そういった親を見ていて、よく耐えられるな、と思うことも沢山ありました。
この耐える行為は信じるということにも繋がり、この強い気持ちが後のドイツ時代にもとてつもなく役立つのです。
次は中学時代回想しますー
2017-08-15 13:18