ドイツ日記 

最近更新しておりませんでしたが、ドイツでの暮らしぶりや何故ドイツへ渡ったのか?聞かれることもありますので、忘れやすい自分の為にも時系列的に書いていければと思っています。

ドイツへ渡った経緯は、サッカーと切っても切り離せません。。。

まだ部活全盛の時代のころに、本当は野球少年になりたかった私です。地元の稲西小学校に通っていた私は当時、所謂、肥満児でした。
4年生になり部活に入ることになります。当時は半分義務的だったような記憶がありますね〜

ただ小学校の野球部がかなりの弱小であったことから、運動量の多いサッカー部に入部を勧められます。ただ、皆、サッカー部と野球部は兼任していた感じです。

嫌々始めたサッカーでしたが、成長期と共に体形が縦に延び(!?)徐々に試合に出られるまでになりました。

そんなころには、野球よりもサッカー熱が強くなり、6年生のころは丁度、Jリーグ元年。地元から鹿島アントラーズに入団していた秋田豊選手も学校に来てくれたりで、益々サッカーをする、していく、ということが日常になってきます。

この地域の小学生の一番の大会で中日大会というものがあり、最後の大会は今までの小学校の歴史の中で最高の成績を収めることが出来たのです。市内で3位でしたね。名古屋市は学校も多いしどれだけ戦ったんだってくらい戦いましたね(苦笑)自由なサッカーを教えてもらったと思います。

ただし、ここからが問題で、中学校は伝統的にサッカー部の強い強豪校でした。この時点で、3人くらいはJリーガーが誕生していましたし、それ以前の日本リーグ時代も含めたら結構いたのではないでしょうか。。。

小学校のころからその中学サッカー部の厳しさを知っていたので、例えばサッカーを小学校でやらせていても、中学校ではダメ!という父兄が殆どだったと記憶しています。元気な(??)先輩方も多い中学でサッカー部もそういった方々が多かったので心配していた、のだと思います。。。

あれだけサッカー部を拒否し野球部に入りたかった私ですが親を何とか説得し入部することになります。

友達は入部に際し、その子のお兄さんに猛烈に反対され殴られたって話も聞きましたね、それほどに厳しかったんだなーと想像していただければ、幸いです。

・・・でもやっぱり地獄でしたね(笑)
ただそのおかげでその後も、サッカーが続けられたんだと思いますし、色々なことを勉強させられた濃い中学校生活でした。

あと本当に・・・本当に自分では言いたくありませんが・・・実は勉強が出来ました。ただ過去形です(苦笑)

豊正中学に入学した時もオール5くらいで、中学1年時の担任には、高校はどこへでも行ける、と言われていました。

ただあまり大人を信用していない性格もあったと思いますので、信用はしていなかったのを今でも思っています。ハイハイという事を聞き、場を乱さず、空気を読む様な印象を与えていたと思いますが、内面はそういった感情があったことを覚えています。

若いころ思った方も多いと思いますが、勉強の必要性とかですね、丁度そのころそういった事を考え出して、目の前にサッカーがあるのだから、しなくてもいいじゃん。と思ったが最後、なんとかある程度はキープしていたものの、3年時にはどこでも選べる状態、ではありませんでしたね〜。
中学時代は、なんとかサッカー部の伝統(大会での)を守れた、というのが結果です。1年生のころには3年生たちが全国大会出場ということも経験しましたが、私たちの年代はなんとか、伝統を守ることで精いっぱいでしたね。それも20年連続とかがかかっていたのでプレッシャーの中での3年間でした。

それでも、サッカーが好きだったのでしょうね。当たり前の様に高校でもサッカーをするのを第一に高校選びが始まるのです。

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